ヒストリーを見る

2023

1989〜1996出会い~福岡での活躍

1989平成元年
1989年、福岡で出会う。
福岡大学に入学した華丸と大吉はお笑いがやりたかったものの、お笑いサークルがなかったため、落語研究会に所属。
互いの第一印象は「男のくせにえくぼ」(華丸)、「目がでかい」(大吉)だったそう。大学3年生のときに先輩から付けられた高座名は、華丸が、ヘアサロンに貼ってあるポスターのモデルのような髪型をしていたため「福々亭さろん」、大吉は、映画『コマンドー』が流行っていたことから「福々亭こまんど」に。
1990平成二年
福岡吉本1期生に。
吉本興業が福岡事務所を開くにあたり、テレビ西日本と共同で立ち上げたオーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』が放送されることに。落研にエントリー依頼が来たことから、華丸と大吉は「岡崎君と吉岡君」というコンビ名で出場。出場者8組中上位2組が所属になるところ、2人は4位という結果に終わった。なお、優勝はカンニング竹山と田中健二のコンビ「ター坊ケン坊」。
しかし、福岡事務所の旗揚げ公演のため出演者が必要ということで、改めて吉本興業から声がかかり、同年5月に1期生となる。所属にあたり、持ち掛けられた芸名は「ゴモラとガメラ」と「華丸・大吉」の2択。迷うことなく「華丸・大吉」を選び、その後、「めでたいから」という理由で「鶴屋華丸・亀屋大吉」と改名した。
1991平成三年
レギュラー番組を続々獲得
芸人デビューから1年経たずして、福岡よしもと芸人の番組『どっちもどっち博多っ子倶楽部』(九州放送)、2023年で37年目を迎えた大人気長寿番組『若っ人ランド』(テレビ熊本)、『夜はとことん』『とことんサンデー』(テレビ西日本)、初冠番組「華丸・大吉の鉄腕ももち」(テレビ西日本)など多数の番組にレギュラー出演。

1997〜2005福岡〜東京へ

1999平成十一年
吉本111劇場オープン
数々のレギュラー番組など順調な活動を続ける中、常設劇場「吉本111劇場」(翌年「吉本ゴールデン劇場」に改称)がオープン。
大阪の人気芸人なども出演するようになり、大阪芸人のファンが爆発的に増えた。
2001平成十三年
幻のM-1グランプリ出場
2001年に「M-1グランプリ」がスタート。出場資格が10年目までだったため、すでに11年目だった2人は諦めていたところ、吉本社員の勧めにより出場。順調に勝ち進んだものの、準決勝ではますだおかだ、華丸・大吉、麒麟というネタ順にビビり、急遽、日韓ワールドカップを題材にした時事ネタを作成。これが大ウケし周囲から決勝進出確実と言われるも、改めて主催が協議した結果、結成11年は出場資格に値しないということで失格となってしまう。これが最初で最後の「M-1グランプリ」出場となった。
2004平成十六年
「博多華丸・大吉」に改名
2人の運命に大きな影響を与えたのが、福岡事務所の姓名判断に詳しい女性パート職員さん。退職する際、「1つだけ聞いてほしいことがある」「名前が悪すぎる、このままでは売れない」と、「博多華丸・大吉」という名前への改名を懇願する。
さらに、「華丸さんがすごい運を持っている」「改名したら2年以内に東へ向かって欲しい」というアドバイスも。その言葉通り、翌年に2人は上京。華丸の躍進へとつながっていく。
2005平成十七年
東京へ!
華丸が細かすぎて伝わらないモノマネ選手権で優勝!
福岡で15年近く活動を続け、地元での人気を築いた華丸・大吉だが、テレビを中心としたメディアの状況が刻一刻と変化を遂げる中で、福岡での限界を感じていた。それでも大吉は「東京で売れる勝算がない」と考えていたが、華丸が子どもの学校事情を考えて「行くなら今年がラストイヤー」と話し、2人は東京進出の決意を固める。
『エンタの神様』(日本テレビ)に出演したら福岡に帰ろうと思っていたものの、オーディションに落選。(これが理由で福岡に帰れないと華丸はいまだに嘆いている)
しかし、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)内の人気コーナー「博士と助手~細かすぎて伝わらないモノマネ選手権~」で、華丸が『パネルクイズ アタック25』(テレビ朝日)の司会・児玉清のモノマネで優勝し、一躍注目を浴びる。

2006〜2011全国区の芸人に

2006平成十八年
華丸が「R-1ぐらんぷり 2006」で優勝!
東京での看板ネタとなっていた児玉清のモノマネを「あいうえお作文」と組み合わせたネタで出場。このネタのおかげで見事決勝に進んだ華丸だが、これまでピン芸人が優勝してきた同大会でコンビ芸人の自分が優勝するわけないと考えた華丸は、博多の爪痕を全国に残すため、決勝で「ゴルフのコンペ会場を間違えたおじさんが受付であたふたする博多弁のコント」を披露したいと切望。これに大吉は猛反対。今では語り草となっている「コンビ最大の大ゲンカ」を繰り広げ、折れた華丸がやけくそでこれまで同様のネタを披露したところ、R-1史上初のコンビ芸人優勝という快挙を成し遂げた。
2008平成二十年
大吉が「焼却炉の魔術師」で「第2回アメトーーク大賞 流行語大賞に。

©tv asahi
『アメトーーク!』テレビ朝日系木曜よる11:15~放送中

9月放送『アメトーーク!』(テレビ朝日)の「中学の時イケてないグループに属していた芸人」に大吉が出演した際、文化祭の日に焼却炉の当番をしていたことから“焼却炉の魔術師”というあだ名が付いたというエピソードを披露。
これが年末放送の「アメトーーク大賞」にて見事大賞を受賞した。なお、同番組のスタッフが年のいった若手芸人だった大吉のことを冗談交じりに「大吉先生」と呼び始め、MCの蛍原徹も番組内で大吉をその名で呼んだことで「大吉先生」というあだ名が浸透。その後、松本人志(ダウンタウン)もテレビで「大吉先生」と言い出したことが周囲の芸人やスタッフに影響を及ぼし、2015年には“大吉先生”呼びが浸透していった。なお、大吉曰く、華丸が大吉を“先生”と呼ぶのはブームに乗っかっただけとのこと。
2009平成二十一年
『華丸・大吉のなんしようと?』放送開始
博多華丸・大吉の冠番組『華丸・大吉のなんしようと?』は、テレビ西日本で毎週放送されているバラエティ番組。2009年4月24日放送開始以降、2023年時点で放送600回を超える長寿番組となっている。

2012〜2014『THE MANZAI』優勝へ

2012平成二十四年
「第12回 ビートたけしのエンターテインメント大賞」日本芸能賞受賞
2011年に師匠陣の後押しにより『THE MANZAI』(フジテレビ)に出場したものの、決勝1回戦で敗退。それでも、最高顧問のビートたけしからは「おもしろかった」と声をかけてもらっていた。
その約3ヶ月後、同授賞式にて「ものすごくいい雰囲気で漫才をやってる」とビートたけしは2人を評価。大吉は「本当に感無量といいましょうか。夢みたいなもの」と感激のコメントをしつつも、「このあとネタ出番がございます。これ以上ハードルを上げて我々を見るのはやめて下さい」と大吉らしくしっかりと念を押していた。
アメトーーク「華丸・大吉芸人」2週連続が実現

©tv asahi
『アメトーーク!』テレビ朝日系木曜よる11:15~放送中

番組には2人のために総勢約20名の芸人たちが集結。同期のナインティナイン、福岡県知事など錚錚たる面子から祝い花が届き、2人はリムジンに乗って登場するという豪華な様相を呈しているにも関わらず、大吉は「スタジオに行きたくない。メインは嫌だ」と恐縮、華丸はスタジオに到着した途端汗が止まらなくなるなど、謙虚な2人ならではのオープニングとなった。番組内では、2人のこれまでの歴史を過去の貴重な番組VTRなどを交えて紹介したほか、華丸、大吉をよく知る芸人たちがそれぞれのエピソードや、2人の仲の良さを物語る秘話を大放出。華丸・大吉オススメの福岡芸人ネタ披露のコーナーも行われた。そして、この年も年末放送の「アメトーーク大賞」大賞を受賞。
2013平成二十五年
テレビ西日本創立55周年記念ドラマ「めんたいぴりり」に華丸が主演!
九州で知らぬ人はいない明太子製造・販売会社「ふくや」の創業者夫妻をモデルに、明太子の誕生秘話を描いたテレビ西日本創立55周年記念ドラマ『めんたいぴりり』の主演に華丸が抜擢された。
演技経験がほとんどなく一度は断った華丸だが、監督の熱意に押されて承諾。いつも漫才の台本を大吉から本番直前に渡されるため、セリフ覚えは得意という大吉からのスパルタ訓練がドラマに活かされたそう。その大吉もスケトウダラの妖精役で友情出演。2015年2月には続編「めんたいぴりり2」も放送された。
2014平成二十六年
「THE MANZAI」優勝
2011年以降、同大会に出場していなかった華丸・大吉だが、ビートたけしの番組に出演した際、楽屋で「あんちゃんたち出ないの?」と声を掛けられたことで、3年ぶりに出場。
事前にネタを決めていたにもかかわらず、会場の空気を察した大吉がネタを本番直前に変更したため、華丸は「覚えていない」と大焦り。しかし、“酔っ払い”の設定だったため、失敗することなくネタをやり通し、優勝を手にした。
大吉は番組の最後に「この予選に出ていない方も僕らの先輩たちも、本当に面白い漫才師さんは劇場にいますので、是非皆さん劇場に足を運んでください」と挨拶した。

2015〜現在へ

2015平成二十七年
大吉「IPPONグランプリ」で初優勝

©フジテレビ

2010年にはバッファロー吾郎プロデュースの大喜利王決定戦「ダイナマイト関西2010 second」優勝、翌年にも「ダイナマイト関西GW」優勝するなど、ライブの世界では知るところだった大吉の大喜利力。
その実力はテレビでも発揮され、5月放送の「第13回 IPPONグランプリ」(フジテレビ)で初優勝を果たした。「この喜びを誰に伝えたいですか?」という質問の答えは大吉らしく「相方の華丸さんに」。
2016平成二十八年
「博多華丸・大吉結成25周年ライブ」を開催
2015年にデビュー25周年を迎え、2016年1月9日・10日に福岡・キャナルシティ劇場にて「博多華丸・大吉結成25周年ライブ」を開催。
スペシャルゲストとして9日には松本人志と雨上がり決死隊・宮迫が登場、10日にはナインティナイン岡村がサプライズで登場。さらに幕間にはとんねるず、明石家さんま、タモリ、ビートたけしといった豪華芸能人からの祝辞VTRも流れ、25周年にふさわしい豪華な内容で故郷に錦を飾った。
2017平成二十九年
「博多華丸・大吉26周年記念公演」を開催
25周年ライブの大成功を受けて、26周年ライブには吉本芸人をはじめ、サンドウィッチマン、福岡出身のバカリズムなど、豪華ゲストが登場。さらに、岡村隆史(ナインティナイン)と石田明(NON STYLE)がこの日のために組んだコンビ「OKA STYLE」の漫才に会場中が拍手喝采。この盛り上がりに、華丸・大吉は漫才の中で「27周年も28周年も、29周年もやります。30周年まで」と明言した。
翌年以降、27周年、28周年とライブを続けたが、29周年は2新型コロナウイルスの感染拡大防止に鑑み中止。実は29周年ライブのエンディングにて、翌年1月に福岡PayPayドーム(当時の福岡ドーム)にて結成30周年記念イベントを発表予定だったが、こちらも中止を決めた。
2018平成三十年
新しい「NHKの朝の顔」に!
第26回福岡県文化賞・社会部門を受賞!

©NHK

『あさイチ』(NHK)の2代目キャスターに華丸・大吉が就任し、新しい「NHKの朝の顔」に。
10月には「漫才を中心に様々な分野において活躍しながら、県内外において福岡県をPRし続けており、福岡県の文化の振興・発展に大きく貢献している」との理由で、第26回福岡県文化賞・社会部門を受賞。
2019令和元年
『めんたいぴりり』が映画化・舞台化
ドラマ、続編ドラマ、舞台化、に続いてついに『映画 めんたいぴりり』がこの年の1月に公開。製作発表会見で華丸は「福岡の魅力がすべて詰まった映画」と話した。
同年9月には二度目の舞台化となる『めんたいぴりり~博多座版~未来永劫編』を博多座と明治座にて上演。さらに2023年6月には映画版第2弾『めんたいぴりり パンジーの花』が上映。公開記念舞台あいさつでは華丸も「まさかここまで賞味期限が長いとは……」と驚いていた。
2021令和三年
華丸、西郷隆盛役で大河ドラマ出演
「真田丸」に続き2本目となる大河ドラマ「青天を衝け」(NHK)に出演した華丸。前回は最終回のみの出演だったが、今回は歴史に名高い西郷隆盛役ということで、「九州人として畏れ多い大役ですが、天国のばあちゃんに喜んでもらえるよう頑張ります」とコメント。
2023令和五年
「華大どんたく」開催決定!
7月15日、福岡PayPayドームで行われた「鷹の祭典2023」福岡ソフトバンクホークス対オリックス・バファローズのセレモニアルピッチにて、「博多華丸・大吉 presents 華大どんたく」の開催を発表。
サブタイトルの通り、華丸と大吉の“愛と人脈の総力戦”がここからスタートした。
博多華丸・大吉の活躍は続く
2024年『華大どんたく』でお会いしましょう!